つらい経験を理解されず生きていく選択

このことについて考え始めたのはサッカー日本代表の監督がオシムさんだったときのこと。
たしか彼が何かの時にそのようなことを言っていたような…

正確なことを覚えていらっしゃる方がいらしたら教えていただきたいけれど。

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はてな記法がまだよくわかりません(覚える気がないとも言う)ので、適当に罫線入れてみた。

なんか時々思うんですよ。
自分がいかにひどい経験をしたか、お前らわかってんのか?って。

でも、こうも思うんです。
本当に理解させようと思ったら、同じつらい体験をさせなくちゃいけない。
あるいは、そこまででなくても理解できるくらい詳細に話さなくてはならない。

で、自分に聞いてみるんです。

あんた、そんな自分みたいな経験、人にさせたいか?

そりゃね、精神科のカウンセラーのような専門職の人ならいいんです。
私担当の人が言うには、『自分にも相談する人がいる、その人に話すためにプライバシー保護のために、相談するときは実名を出さないでほしい』って言ってたくらいなので、重荷になるようなことを話しても大丈夫らしいので。
それでもやっぱり気は遣いますが。

でも、それ以外の普通の人に話すのは、相手を傷付けてしまいそうで…

ぶっちゃけたい時は一杯ある。

ぶっちゃけてしまえば、心の澱がなくなって楽になるから、もっと自由に動けると思うのです。

でも、出来ないよね♪

それしたら、私は私につらい経験をさせた人たちと同じレベルに堕ちてしまうから。

幸いなことに、私の行きつけの小説サイトに、そんな私でも癒されてしまうくらい素敵なヒーローの出てくる小説がありまして、何回も読み返しています。

こういう部分は夫に背負わせたくないので、とてもありがたく思っています。

文章ぐちゃぐちゃなので、いつか訂正するかもしれません。
いつもぐちゃぐちゃだろう、というツッコミは無しの方向で♪