私の表現規制関連の発言について

Twitterでは書いたことがあるけれど、こちらにも一度書いておこうと思う。

子供の頃、私はいじめられっ子でした。
そういえば、当時はいじめられっ子なんて表現のしかたもなかったな。
私は変わった子でしたから、まぁさんざんな目に遭いました。

階段から突き落とされる
便器に頭を突っ込まれそうになる
道端でベルトを鞭代わりにしたもので首筋を鞭打たれる
背中側から土を服の中に突っ込まれる
母親の目の前で鉛筆削り用のナイフを首に押し付けられる
上履きを隠される
殴る、蹴るは当たり前
そんな私を道端で見ても通りすがりの大人は何もしてくれない
等々

まぁ悲惨な少女時代でしたね…

でも、
先ほどのベルトで鞭打たれたときは、すぐ近所の人が助けに来てくれて…
その経験がなかったら、今の私はどうなっていたかわかりません。

さて、そんな悲惨な経験はあったものの、助かるその日まで心を閉じて生き延びた私はとある場所で働き始めました。
まぁ結局、そこでの経験があって、私の人間不信は快方に向かったのですが…

で、ですね…
その頃の私が見て感動したドラマがあったのです。
ギフト、と言います。
木村拓哉さんが主演したドラマです。
確か月9ではなかったはず。
詳しい説明は省きますが、
とある事情で記憶喪失になった主人公が、荷物を運ぶ仕事をしながら自分の記憶を取り戻していくストーリーでした。
私も、ひどいいじめを受けた後遺症で記憶が一部ぶっ飛んでいましたから、ドラマに対する興味が強かった。
最後の方でナイフを使ったシーンが出てきたときも、何て言ったらいいのかな…自分はナイフを突きつけられる立場だったけれど、感情移入をして見ていた主人公はナイフを突きつける側だったので、効果が相殺されたというか、癒された、と感じたのですね。
自分の嫌な記憶も無いよりはあった方がいい、と思わせてくれるものもありましたし。
私にとってはとてもいいドラマだったのです。
私以外にも救われたと感じた人が出たのではないか、とも思っていました。

ただ、ことはそう上手くは運びませんでした。

先ほど言ったナイフの件、人を傷つけたいと思っている人には逆の作用を引き起こしたのです。

覚えていらっしゃる人もいると思いますが、
あのドラマで使われた折り畳み式ナイフと同じものを使って殺人事件を引き起こした人が出ました。
彼は取り調べでドラマの影響を受けた、と供述しました。
そのため、私が癒されたドラマは再放送されないドラマになりました。

はじめ、私もドラマがいけないのだと思ったのです。
ドラマがなければ殺人事件は起こらなかったのではないか…
でも、なんか説明しがたいモヤモヤがありました。

そして、それからずっと私はその問題について考え続けたのです。

それから何年もたって、一冊の本に出会いました。
有川浩さんの図書館戦争です。
奇しくもギフトのノベライズ版を出している角川から出版された本でした。

あ、これだ!

自分の中のモヤモヤが晴れていくように思いました。

それからです。
私が表現規制関連の発言をするようになったのは。

表現規制賛成派の人も読んでもらいたい。

その上でまだ表現規制賛成派に止まるならそれはそれでいいと思います。

いろんな考え方があって当然だと思いますから。

ただ、自分とは違う意見も読んでから決めてほしい。

ただ、それだけなのです。

今日、私のアカウントが一人の増田によって、はてブの非表示推奨アカウントに認定されちゃいました♪

ということは、こんな記事を書いても増田には届かないだろう、ということでもあります。

だけれども、どこかから伝わるかもしれません。
だから、書き残しておきます。